2012年2月20日月曜日

性格を知ることと、レッテルを張らないこと

前回、吉岡たすくさんが庭師から学んだことを“桜切るバカ、梅切らぬバカ”と題して親あてに書いているのを紹介しました。これは親が子どもそれぞれの個性を知っていることの大切さを言っているのですが、このことを考えていたらフッと一つの質問を思い出しました。
もう何年も前になりますが、“うちの子は...なんです。”とレッテルを張らないようにしたい、という話をお母さん方とした時のことです。質問は、“でも、生まれつき持っている性格は変えられないと聞いたんですが…” というものでした。まだ子育ての話し合いの場を持つ仕事を始めたばかりの頃で、その場で答えられなかった苦い経験でした。
性格は、それぞれの感じ方、考え方のことです。兄弟二人を同じように叱っても、お兄ちゃんはシュンとなるのに弟には全く効かないといった例はほとんどの親が経験から知っていることでしょう。どちらの感じ方・考え方が正しい・正しくないと言うことではありません。桜か梅かを見極めて、というところにつながります。
性格を変えることは、簡単ではありませんができない事ではありません。他の目から見て悪いから変えるのではなく、変わりたいから変わる努力をするのでしょう。こんな高度な自分改革は子どもに求められることではありません。
幼児期はまだ人格形成期です。実は“レッテルを張らずに…”も吉岡さんの発言です。小さい頃から、うちの子はこういう子だからと決めつけて育てたらそういう性格の子に育つ、とおっしゃるのです。
レッテルを張るということは、繰り返された行動を基にこの子はこういう子だという目で見てしまうことです。大概悪い方向です。ところが、子どもの行動には必ず裏付けがあります。見聞きして学んだ(誰かのまねをしている)、親の言葉や行動を子どもなりに理解した結果の行動、動揺するような出来事が起こった後に防御的に反応するようになった、大人の気を引きたい(時々これは助けを求める信号)等々。決めつけてしまう前に行動の裏を探ってみなければなりません。
子どもは間違ったことをした経験からも多くのことを学んでいきます。とった行動が間違っていたら、それなはしてはいけないことだと正さなければなりませんが、だからと言ってその子が“悪い子”なのではありません。子どもに限らず、人を見る時には行動と人格を分けてみないと危険です。行動が悪かったのであって人格が悪いのではありません。私は“悪い子”(naughty boy/girl)という言葉を使いません。
何回も注意しても同じ間違った行動をとる子どもを見る時、どうしてだろうと大人の側を振り返ってみることも大事です。注意の仕方が年齢に合っていなくてメッセージが伝わっていないかもしれません。言葉が足りなくて(例:“そんなことしちゃダメじゃない”というだけ)子供は何をしてはいけなかったのかわかっていないかもしれません。もっと深い感情が裏にあるかもしれません。
子どもが繰り返し同じ行動をするとき、この子はこういう子だからとレッテルを張る前に、行動の裏を探ってみてください。大人は言葉でちゃんと説明してくれないとわからないので戸惑いますが、まだ言葉で上手に表現できない幼い子供でも、親の“どうしたのかな、解りたいな”という気持ちを感じます。たとえば、“どうしていつもすぐ泣くの!”と “また悲しいことが起こったのかな?どうして泣いているのかな?”とでは、子どもの心に残るものが違うと思いませんか?
大人の私たちだって、レッテルを張られたくはないでしょう。もしそんなことが起こったら、きっと親しい人には理由やいきさつを説明して分かってもらいたいと思うのではないでしょうか。そうでなければ、どうせそう思われているなら…と投げやりになるかも知れません。
© 2012 Makiko Nakazawa

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